公共図書館における図書選択の理論的検討
東京大学教育学部総合教育科学科(教育行政学コース)
安井 一徳
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1.問題と目的(p.4-5) 1.1 この論題を選んだ理由、目的 1.2 この論文で論じる範囲 2.これまでの主な図書選択論の動向(p.6-27) 2.1 アメリカ合衆国における図書選択論 2.1.1 公共図書館における図書選択論の源流 2.1.2 フィクション論争と要求論の出現 2.1.3 図書選択論の体系化 2.1.4 要求論の退潮とシカゴ学派 2.1.5 図書館の目的 2.1.6 第二次大戦後の図書選択論 2.2 日本における図書選択論 2.2.1 1970年以前の図書選択論 2.2.2 1970年以後の図書選択論 2.2.2.1 前川恒雄 2.2.2.2 伊藤昭治・山本昭和 2.2.2.3 河井弘志 2.2.2.4 根本彰 2.2.2.5 価値論/要求論 2.2.2.6 予約・リクエスト 2.2.2.7 複本 2.3 本章のまとめ 3.「選書ツアー」をめぐる新展開(p.28-44) 3.1 「選書ツアー」論争の整理 3.1.1 「選書ツアー」論争の経緯 3.1.2 各論者の主張 3.1.3 「選書ツアー」論争の論点 3.2 「選書ツアー」論争の検討 3.2.1 図書選択は市民参加の対象になりうるか 3.2.2 リクエストと選書ツアーとは異質なものか 3.2.3 図書館員によるチェックは許されるのか 3.2.4 図書館の自由 3.3 本章のまとめ 4.「潜在的要求」及び「選択」の再検討(p.45-61) 4.1 潜在的要求とニーズ 4.1.1 潜在的要求の定義 4.1.2 「調査」についての問題 4.1.3 「潜在性」の問題 4.2 選択の孕む問題 4.2.1 図書選択と象徴的権力 4.2.2 要求論と権力性 4.3 本章のまとめ 5.結論(p.62-63) 注釈(p.64-76)
公共図書館では、常日頃から図書を選択的に購入したり廃棄したりしている。ほとんどの場合、こうしたことが取り立てて問題視されることはない。その理由は、選択基準の正当性にあると考えることができる。従来から正当性の論拠として、図書自体の価値に選択基準を求める「価値論」と、利用者の要求に選択基準を求める「要求論」という2つの極が想定されてきた。これらに代表される図書選択論の検討が本稿の目的である。
2.本論要旨(2〜4章)2章では議論の前提として、日米の主要な図書選択論を概観した。アメリカにおける図書選択論の変遷は、極めて単純化すれば、(教育的)価値論→要求論→図書館の目的論、という形になる。「図書館の目的論」では、図書館の目的を設定したうえで、それに適う価値基準と要求が採用されるのである。つまり価値論/要求論の対立図式を克服する選択論として位置付けられる。一方現代の日本における最大の特徴は、「価値判断をせず、市民の要求を全て受け入れる」という要求論的立場が強い影響力を持っている点である。この立場に、貸出冊数、リクエスト制度及びカウンターでの要求把握といったものの重視が結びついて、日本独自の「現場の理論」を形成している。この理論は、選択基準を利用の多さという数値指標に求めるため、「図書館の目的論」をも要求を切り捨てる価値論の変種として批判することが可能になる。
3章では、図書選択に関する新たな展開として、「選書ツアー」及びそれをめぐる図書館界の論争を整理・検討した。選書ツアーとは、市民が図書選択の一部に参加するもので、いわば市民参加の一環として企画されたものである。図書館員の主流を占める要求論的立場からすれば、このような試みは市民と図書館員の共同作業として支持されるはずだと思われるが、実際にはほとんどの図書館員が反対派に回った。その直接的かつ最大の理由は、選書ツアーが司書不要論に繋がりうるからということである。しかし肯定派は、図書館員の最終的なチェックを前提にするからこそ選書ツアーは可能なのだと当初から主張していた。このような双方の議論の食い違いについて考察した結果、「図書選択における専門性」や「リクエストでの図書選択」といった、これまで市民から見えにくくされていたものが選書ツアーによって顕在化するのではないか、という結論に至った。「現場の理論」では、図書館員と市民の間には、要求の制限のような対立的な関係は一切ないとされてきた。しかし実際には、それは潜在化しているだけだと考えられるのである。
4章では、前章での推測を補強すべく、「潜在的要求」と「選択」についての再検討を行った。潜在的要求を把握する手段としては社会調査が主であるが、その際の調査形式や質問の立て方には、調査する側の「枠組み」が反映する。こうしたことから、潜在的要求の全てを把握することはできず、またそれは予め明確なものでもないことが導かれる。そうだとすれば潜在的要求の把握は常に選択的なものであるし、図書館が潜在的要求を形成するという面も無視できない。したがって潜在的要求を考慮する限り、そこに何らかの価値基準を設けなければならなくなる。またある図書が選択されることは、選択者の意図に関わらず、その図書の優位性の表示になりうる。これを「象徴的権力」と定義した場合、その存在の根絶よりも意識化の方が重要である。「現場の理論」ではこのような権力的側面は一切否定されており、意識化されていない。この場合、意識化されない前提は、共感や常識に価値を置く一種の「ヒューマニズム」だと言える。これ自体は全く悪いことではない。問題なのは、その前提が意識化されないため、自らの「ヒューマニズム」が特権化・普遍化されることにある。例えば、自らの意見に対する批判に対して、「利用者のことを考えていない」、「普通の市民の感覚ではない」といった論拠から反論し、建設的な議論や批判が成立しない。「何をもって利用者のことを考えたとされるのか」、「普通の市民の感覚とはどのようなものか」といったことは、「心ある人なら分かるはず」ということになり、問題化されない。
3.結論及び反省(5章)1970年代以降の日本で強い影響力を持ってきた「現場の理論」は、公共図書館の発展に大きな役割を果たしてきた。ただその問題点は、自らの無謬性を目指す余り、都合の悪い部分の問題化を避けることにある。このことによって、異なる立場との議論を困難にする閉鎖的な土壌が生まれやすくなる。今後の図書選択においては、議論を閉塞させかねない従来の「価値論/要求論」図式だけでなく、批判に対して開かれているかや、自己相対化されているかといった点も重視すべきである。
本稿についての反省点を挙げればきりがないが、まず図書選択を論じる際に密接に関連してくる「検閲」、「収集方針」さらに「図書館の自由」といった問題をほとんど扱えなかったことがある。また、特に4章での考察が非常に中途半端なものに留まってしまった点も課題である。
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