占領期における図書館政策の推移―CIE関係文書による

根本 彰、三浦太郎、中村百合子、古賀 崇

(東京大学大学院教育学研究科)

 

GHQ/SCAPの教育政策を担当した民間情報教育局(CIE)における図書館政策の推移を跡づけるために、占領期を3期に分け、前期4文書、中期3文書、後期5文書の計12の政策文書を取り上げ分析した。その結果、前期に公共図書館の相互協力を中心に提示された全国計画の政策は、初代図書館担当官キーニーの帰国によって頓挫しその後に引き継がれなかったこと、実施された主たる図書館政策のほとんどは図書館担当官以外の人々によって着手されたものであったことを明らかにし、図書館振興というコンセプトはあったがそのための一貫した図書館政策は見られなかったといってよいことを指摘した。

 


1 はじめに

占領期の図書館政策の担い手として、占領軍GHQ/SCAP、文部省、日本図書館協会などを考えることができる。ここでは、GHQ/SCAPの民間情報教育局(Civil Information & Education Division)の図書館政策を取り上げる。

これは、間接統治とはいえ占領軍の基本的指示のもとに政策が進められる場合が大きかったこと、図書館に関しては第一次教育使節団に図書館専門家であるカーノフスキー(Leon Carnovsky)が含められて以来CIEの教育課(Education Section)に図書館担当官(Libraries Officer)が置かれ、少なくとも、占領後期の1950年8月に最後の図書館担当であったネルソン(John M. Nelson成人教育担当と兼務)が帰国するまで図書館行政が存在していたと考えられるからである。

本発表では、図書館担当官が実施した政策を検討するために、教育課関係の重要な政策文書を12取り上げて検討を加える。取り上げた文書は以下のものである。


 

 

文書名

正式文書名

発表年月

性格

編集責任者

1

日本の教育

Education in Japan

1946/2

教育使節団受け入れのためのCIEの報告書

K. ダイク CIE局長(?)

2

米国対日教育使節団報告書

Report of the United States Education Mission to Japan

1946/4

日本の民主化のための教育政策案

ジョージ・ストッダード団長

3

日本のための統合的図書館サービス

Unified Plan of the Libraries for Japan

1946/4

図書館担当官による政策文書

P. O. キーニー

4

新日本の教育(幻の報告書)

Education in the New Japan

1947/5

教育課スタッフによる政策レビュー

M. L.オズボーン

5

新日本の教育(公式報告書)

Education in the New Japan

1948/5

教育課による公式政策レビュー

W. C. イールズ

6

図書館:目標と達成指標

Libraries: Goals and Objectives

1949/1?

図書館担当官による政策文書

P. J. バーネット

7

1949年に向けての教育課の計画

Education Division Plan for 1949

1949/1?

教育課の短期的政策文書

M. T. オア教育課長(?)

8

米国対日教育使節団報告書の観点から見た日本教育の発展

Developments of Japanese Education in Terms of the Reports of the United States Education Mission to Japan

1950/8

教育使節団受け入れのためのCIEの報告書

M. L.オズボーン

9

第二次教育使節団報告書

Report of the Second U. S. Education Mission to Japan

1950/9

第一次使節団の勧告事項の進行と成果の調査

W. E. ギヴンズ団長

10

1951年1月までの日本教育の進展

Educational Progress in Japan, to January 1951

1951/1

教育課顧問による政策レビュー

W. C. イールズ

11

GHQ日本占領史:教育

History of the Nonmilitary Activities of the Occupation of Japan; Education

1951

民間史料局によるGHQ正史として準備されるが採用されず

F. R. メザード(民間史料局)

12

戦後における日本教育の発展

Post-War Developments in Japanese Education

1952/4

教育課による公式政策レビュー

A. K. ルーミス教育課長(?)


           表1 取り上げた文書の概要

 

このうち,教育政策を評価するために重要と考えられるのは,日本の戦後教育改革のバイブルと呼ばれた2の第一次米国教育使節団報告書,CIE自らの教育改革の中間報告である5の『新日本の教育』,そして占領末期に2に照らして占領期の教育改革をCIE自ら評価した8の『日本教育の発展』の3点である。これらを中心として,CIEの政策文書のなかに図書館政策がどのように位置づけられているのかを明らかにするのが本稿の主要な課題である。また同時に,図書館担当官(Libraries Officer)としてCIE教育課で活動した人たちの計画書・報告書である3,6,7を織りまぜて考察することにしたい。(分析結果は表2)

 

2 CIEの図書館政策

2.1       日本占領と図書館政策

 日本占領は太平洋戦争が始まってから米国の国務省や陸軍省で周到に準備されていた。民主主義普及の手段として、映画、新聞・雑誌、ラジオなどのメディアを重視する考え方ははっきりと文書に残されている。これらのメディア政策の一部はのちに、CIEの情報課が担当することになった。同じ情報課ではCIE図書館の業務も担当していたにも関わらず、戦時中の文書において占領後の図書館政策について記述のあるものは見つかっていない。

 CIEは1945年10月2日にGHQ/SCAPが設置されると同時にその機構の一組織としておかれた。CIEの任務として、民主主義思想の普及や国家主義の排除、日本の教育機関との連携などともに、美術品や古器物のほか図書館や博物館など文化的な施設の保護・保存について最高司令官に勧告する責任が明記されるのは10月17日である。しかしながら、図書館政策を教育政策のもとで進めようという考え方が出てくるのは、第一次教育使節団に図書館専門家が含まれることが確定し、CIE側でそれに対応するための準備を行う段階である。準備報告書『日本の教育』(文書1)には図書館政策に関してほとんど記述がないが、CIE側の準備委員会には図書館担当として「クロフツ大佐(キーニー氏)」の名前が挙げられている。

 


 

文書名

図書館部分執筆者

図書館協力

公共

学校

大学

国立

E図書館

職員養成

1

日本の教育(1946.2)

不明(バーネット?)

 

 

 

 

 

 

2

米国対日教育使節団報告書(1946.4)

ウッドワード、スティーヴンス、(カーノフスキー?)

 

 

3

日本のための統合的図書館サービス(1946.4)

P. O. キーニー

 

 

 

 

4

新日本の教育(幻の報告書)(1947.5)

P. O. キーニー(?)

 

5

新日本の教育(公式報告書)(1948.5)

P. J. バーネット

6

図書館:目標と達成指標(1949.1?)

P. J. バーネット

 

 

7

1949年に向けての教育課の計画(1949.1?)

P. J. バーネット

 

 

 

文書名

図書館部分執筆者

図書館協力

公共

学校

大学

国立

E図書館

職員養成

8

米国対日教育使節団報告書の観点から見た日本教育の発展(1950.8)

ハークネス、ジャドソン、ネルソン、イールズ、スタルネーカー、ボールス

9

第二次教育使節団報告書(1950.9)

ギヴンス、ワナメーカー、ホッホワルト

 

 

10

1951年1月までの日本教育の進展(1951.1)

W. C. イールズほか

11

GHQ日本占領史:教育(1951)

不明(民間史料局職員)

 

 

12

戦後における日本教育の発展(1952.4)

8と同様

(◎○△は項目毎の重点の度合いを評価した)

   表2 各文書の図書館部分の分析


 

2.2 占領前期の図書館政策

 前期は、1947年(昭和22)3月に教育基本法、学校教育法が公布されるまでの教育改革の基本方針が決定される時期である。図書館担当官としては1946年3月に第一次教育使節団が来日するのにあわせて、民政局からキーニー(Phillip O. Keeney)が転属になった。

 第一次教育使節団の報告書(文書2)では成人教育の項目において都市部の図書館の復興を中心とするやや理念的な公共図書館の整備の提言がなされ、さらに高等教育の項目において総合目録を核にした相互協力、および職員養成の重要性が強調される。図書館専門家カーノフスキー(Leon Carnovsky)が議論に関わったものと考えられるが、執筆者はそれぞれウッドワード(Emily Woodward)、スティーヴンス(David H. Stevens)と推定され、報告書のなかで一本化された図書館政策が提示されているわけではない。

この報告書が提出された直後、キーニーによる「日本のための統合的図書館サービス」(文書3 キーニープラン)が提出される。こちらは、公共図書館の振興をカリフォルニア州の相互協力体制に範をとって具体化したところに特徴がある。日本全国をカリフォルニア州,県をカウンティに見立て,日本の国立図書館,県立図書館,市町村立図書館,さらには学校図書館,大学図書館までも統合しようとする構想であった。ここでいう統合とは,具体的には資料の貸借や目録カードのやり取りによる,図書館間相互の結びつきのことである。国立図書館は全国的な総合目録を完備し,「地域」図書館からの資料要求に応え,「地域」図書館もまた総合目録を備えて,市町村の図書館からの資料要求に応える。そうして,あらゆる地域に住む人びとの資料への要求が満たされ,図書館が彼らの教育に資することができるとする考え方が現れている。

このように占領前期には、教育使節団報告書において示唆された図書館振興策を、キーニープランにおいては公共図書館を核とする全国協力計画という形でより具体化した考え方が提示された。しかしながら、キーニーが共産主義者の疑いで帰国することになる1947年春以降キーニープランは見捨てられることになった。

 

2.3 占領中期の図書館政策

中期は教育政策としては前期の基本方針をもとにして学校制度をつくりあげるとともに、教育委員会法、教育職員免許法、社会教育法などでさらに教育制度を拡充していく時期であった。キーニー帰国後一時的にネルソン(James M. Nelson)成人教育担当官が図書館担当を兼任したが、1947年11月に専任図書館担当官としてバーネット(Paul J. Burnette)が赴任した。

バーネットの執筆した3つの報告書、計画書(文書5,6,7)においては、前期で強調された公共図書館を軸とする全国的な図書館協力計画という考え方は影を潜め、各館種ごとの課題を明らかにし、それぞれへの取り組みについて記述している。その意味で、バーネット独自の図書館政策が表明されているというよりは、米国の図書館サービスのレベルと対比して相対的に弱体な日本の図書館サービス全般について問題点を指摘し、日本側で取り組む課題を示している。

そのなかで、とくに力が入れられるのは学校図書館と国立国会図書館である。学校図書館は1947年の春から中等教育担当だったオズボーン(Monta Osborne)が文部省に『学校図書館の手引き』の編集を指示するとともに、ALAの職員で児童・学校図書館の専門家だったグラハム(Mae Graham)が3ヶ月滞在し、編集に対するアドバイスを行った。その後をバーネットが引き継ぎ任期中に編集作業に関与し、採用すべき分類法としてDDCを主張し、日本側の主張するNDCと対立した話は知られている。

また、国立国会図書館法が1947年末から翌年2月にかけて来日したクラップ(Verner Clapp)、ブラウン(Charles Brown)の図書館使節によって原案が提示され、ほぼその線で新しい国立国会図書館法がつくられた。1948年の夏には新しい国立図書館のサービス体制について助言するためにダウンズ(Robert Downs)が来日している。

 こうしたことから、中期の図書館政策の多くは図書館担当官自身のアイディアではなく、教育改革や政治改革の一環として新しい図書館制度が導入されようとしたときに、図書館担当官が関わったものと考えられる。

 

2.4 占領後期における図書館政策

 占領後期は占領後に向けた占領政策のフォローアップと評価の時期である。図書館法や博物館法はフォローアップの一環と考えられるが、すでにこの時期は日本の経済と国家財政の再建が急務となっており、理念的な立法であるのにとどまった。また、文部省との共催による教育指導者講習(IFEL)は、占領後に向けた教育改革の総仕上げと考えられる。IFELにおいて図書館関係の講習が開催されたが、この時期に教育改革において図書館が一定の位置づけを持ち得たことを示している。

 さて、教育改革の評価としては1950年に来日した第二次教育使節団が重要である。これを迎えるためにCIEでは報告書を用意した。これが「米国対日教育使節団報告書の観点から見た日本教育の発展」(文書8)である。この時期の図書館担当は再度ネルソンが兼任しており、彼が実質的に図書館法の制定のみを担当していた。この報告書で図書館については、幅広く各館種に言及しており、とくに折からの学校図書館への関心の高まりにあわせて図書館の項目ばかりでなく、学校教育についての項目においてもかなり記述されている。

  第二次教育使節団報告書(文書9)は第一次教育使節団の勧告事項がどの程度実現されたかを評価しあわせて教育改革の課題を提示するものであった。成立したばかりの図書館法についてはわずかに言及するにとどまり、公共図書館を充実させる計画については先送りになったことが示されている。第一次教育使節団報告書では学校図書館にはわずかに言及しているのにとどまっていたが、第二次教育使節団報告書では学校図書館についてかなり踏み込んだ記述を行っている。

 このように2つの使節団報告書には視点のずれが見られた。第二次教育使節団には図書館専門家が含まれず、またCIEにも図書館専門家がおかれなくなっている。この時期には、図書館政策を一貫した視点で評価することのできる専門家がいなかったということができる。

 

3 図書館担当官と図書館政策

 図書館担当官は,長くて1年半,短い場合には半年あまりで交代している。そうした場合に政策の継承がどのように行われたのかが問題になるが,初代のキーニーと,第2代のバーネット以降でかなりの変化があったといってよいだろう。引き継がれなかった理由としては,キーニーが共産主義者の疑いで解任されたことで彼の政策をそのまま引き継ぐことができなかったことが考えられる。またこの時期,学校図書館整備の問題が突如持ち上がったこと,国立国会図書館設立の問題が同じく1947年から急に持ち上がったことなどの理由も挙げることができる。

 占領前期の図書館政策は教育使節団報告書とキーニー・プランであったが,それらが教育課全体のコンセンサスを得てすぐに法制化に向って動き出すことはなかった。図書館政策が実質的に動き始めるのは中期になってからである。

 これは、教育改革においては教育基本法,学校教育法による新しい学校制度の構築が最優先され,これらが公布される1947年春まではそれ以外の制度については手つかずであったからである。憲法改正を受けて国会の改革が取り組まれるのも同じ時期である。つまり,図書館のように他の制度改革の支援的位置づけにある政策は、この時期に動き出すのは当然のこととも言える。

 法の整備を中心とする図書館政策は専任の図書館担当官の手では行われなかった。図書館法は成人教育との兼務であったネルソンの手に委ねられた。国立国会図書館法は民政局のウィリアムズの主導により,図書館使節のクラップ・ブラウンが担った。学校図書館法は,占領終了後に成立している。

 GHQ/SCAPが図書館分野において比較的力を入れた政策と考えられるのは,CIE図書館の設置,国立国会図書館の成立,『学校図書館の手引き』の編集,Japan Library Schoolの設立などに限られる。CIE図書館の設立を除くと,これらの政策は占領中期から後期にかけて取り組まれたものである。またいずれも図書館担当官が直接担当したものではない。このように、図書館振興を改革の手段として位置づけるという考え方では共通していたとはいえ、一貫した図書館政策を欠如させたまま占領は終了を迎えることになる。

 

<参考文献>

使用した文書で3と6以外は、Hideo Satow, Eiichi Suzuki, and Gary H. Tsuchimochi, Educational Reform in Japan 1954-1952, Part I, Part II, Congressional Information Service and Maruzen, 1990, 1996.[マイクロフィッシュコレクション]に収録されている。3は、裏田武夫・小川剛『図書館法成立史資料』日本図書館協会,1968.に、また、6は、CIE records Box No. 5359, Folder (9): 337, Sheet No. (A)2986-2991.に収録されている。

 

・鈴木英一『日本占領と教育改革』勁草書房, 1983

・竹前栄治『占領戦後史―対日管理政策の全容』双柿社, 1980.

・土持ゲーリー法一『米国教育使節団の研究』玉川大学出版部, 1991,

・根本彰[研究代表者]『占領期図書館研究の課題』東京大学大学院教育学研究科図書館情報学研究室, 1999.

・根本彰「占領期における米国図書館関係者来日の背景:ALAほかの一次資料に基づいて」『日本図書館情報学会誌』第45巻,第 1号, 1999,p.1-16.