下記の文章は、1999年5月26日に山上会館で開催された「東京大学教育学部創立50周年記念シンポジウム」の発言者として用意した原稿です。
生涯学習社会の方法論的装置としての「図書館」
1 なぜ東大に図書館学講座があったのか
図書館学講座は教育学部が発足してまもなくできた歴史の古い講座なのですが、その位置づけについてはあまり認識されていないと思われます。今日は図書館と教育という課題についてお話いたしますが、それは決して図書館学の宣伝にとどまらず、今後の教育学の課題とも密接に関わっていることをご理解いただきたいと思います。
私が所属しております生涯教育計画コースは昔の教育行政学科を継承しております。いまでも学部は教育行政学コースです。教育行政学という分野が東大教育学部に存在することそのものが戦後の教育改革と深い関係にあるわけです。つまり、教育行政は一般市民からなる教育委員の管理によるが教育長や教育指導主事が専門家として養成されるべきであるというアメリカ的な理念が導入され教育行政の研究教育が必要になったこととともに、社会教育主事や司書、学芸員のような社会教育職員を専門職として養成することが求められたわけです。つまり、教育行政学科は教育行政の専門職制を支えるものとして出発しました。
しかしながら、占領終了後の歴史は結局、教育が文部省を頂点とする官僚支配が明確になり教員のみが専門職としてそれに対抗するという図式ができ、当初の理念の大方ははっきりしないものになっていきます。
そのなかで、図書館に関する専門職はきわめてアメリカ的な匂いが強いものだったが故に、当初強力にわが国のアカデミズムのなかに導入されようとしましたが、急速に忘れ去られたものとなったものです。
たとえば、私はなぜ東大に図書館学講座があったのかずっと不思議に思っていたのですが、これは東大図書館が関東大震災で炎上したときに国際的な援助で復興したことと関わっています。今の総合図書館は1938年(昭和3年)にロックフェラー財団の全面的な助成を得て復興したものです。それ以来、東大の図書館にはロックフェラーからの援助が寄せられ、戦後も早い時期からロックフェラーやアメリカ図書館協会から資料が送られてきています。知米派であった南原繁総長や文学部の若手教官であった海後宗臣、岸本英夫両氏が間に入ります。そして、日本の大学にアメリカ流の図書館員養成のプロフェッショナルスクールをつくる動きがあったときに東大にこれをつくる話がかなり有力になったのですが、結局のところこれは慶應義塾に行ってしまいます。さらに文部省が東大と京大に図書館学講座をつけるという話をもってきたときに、最初に文学部に話があったのですが、文学部の教授会が拒否して結局、できたばかりの教育学部に移されたと言われています。
2 学習方法論としての図書館
では戦後改革と図書館はどのような関係になるのかを考えてみたいと思います。みなさまのなかで欧米に大学に滞在された方の多くは、図書館がきわめて快適な場所であると感じられたと思います。欧米の大学においては図書館は「知の中心」に位置し、かなりの規模をもっています。単なる中心にとどまらず、それが開放されたネットワークを形成していることが特徴です。とくに人文社会系の学問においては研究教育において欠かすことができません。
しかしながら、日本では図書館は近代化の過程で物真似的に導入された機関にすぎず、社会的に不可欠であるとの評価は得られませんでした。東大の図書館も蔵書は700万冊といって世界的にみてもかなりの蓄積ではありますが、学部や研究所ごとにばらばらで「知の中心」という面影すらありません。総合図書館はアメリカの2線級の州立大学図書館より貧弱だと思います。文科系で博士号を出すといいながらなかなかそうした研究がでないのは図書館の貧弱さと大いに関係あると思います。
私は、これは西欧から輸入した「知」を研究室に抱え込み紹介することで学問としてきた東京帝国大学の学問の方法と関係あると思っています。閉塞された知の状況のなかで自らの権威付けをしてきたのです。知の連関は、開放され、多分野の文献を一堂に集めたかなりの規模の図書館の存在なしには不可能です。若手の従来の学問の枠にとらわれない新しい発想を、東大の学問の伝統が文献情報の基盤というインフラを用意しなかったがために自ら摘んでしまっているのではないかと危惧しています。
図書館とは単なる本の置かれた場所ではなく、そうした知の交流する場であり、創造性の芽を育てる場なのです。占領期にアメリカ人が図書館を重視した理由は、まさに、彼らの考える民主主義がwell-informed
citizensつまり、自ら考え知識や情報を求める市民なしではありえず、そうした市民の育成にライブラリーという社会的装置を欠くことができないと考えたからです。この考え方は、公共図書館に典型的にみられますが、先の大学図書館においては教育研究のインフラを整備すること、国立国会図書館をつくって民衆の代表である国会議員が政策をつくるのに支援すること、学校に学校図書館をおいて教育の基盤に自ら学ぶ方法を学ばせるという考え方を導入することなど、共通したものだったといえます。
3 自ら学び方を学ぶこと
一昨年、学校図書館法がほぼ40年ぶりに改正されました。そのなかで、司書教諭を2003年以降一定規模以上の学校すべてに配置することになっています。実は冒頭のエピソードのように学校図書館は学校の中では単なる本の置き場で、本好きの子どもたちが集まる程度に位置づけられたにすぎなかったということができます。それが今、文部省の教育課程についての方針が変化して総合的学習だの調べ学習だのといった詰め込みではない、自由な編成の可能な学習方法を重視する中で、ようやく子どもの学ぶ方法、そして教師の教える方法そのものの見直しが行われるようになり、知識注入型から知識探索型の学習に転換する中で図書館の重要性とそれを運用する専門家である司書教諭の重要性を再確認したものだと考えられます。
理念的にはそうなのですが、あまり安心してばかりいられません。それは、どうもこの改正はインターネットの全校導入と関連づけられているらしいことが見て取れるからです。インターネット上の情報が重要な学習資源となることは間違いないでしょうが、そうした動きが経済界からの圧力を受けてのことは明らかであります。本来の学び方を学ぶという目的から逸脱して、機器を導入しネットワークに接続してこのように学習に使えますというだけなら従来の教材導入となんら変わりがありませありません。必要なことは、学び方の専門家である司書教諭がその専門知識を文献、インターネットを問わず学習の過程に入り込んで教師と子どもたちにアドバイスできる体制だと思います。
一部の大学でも「情報利用教育」が始まっています。これはいわゆるコンピュータリテラシーやメディアリテラシーとは一線を画するものです。たとえば、京都大学では昨年から総長の長尾真先生を中心に新入生向けの授業として、「大学生と「情報の活用」」という授業が始まりました。その中身は図書館と各種のデータベースの使い方についての解説と演習です。京大はさすがにノーベル賞学者を何人も出しているだけあって、知的創造性への取り組みにおいて東大をリードしていると思った次第です。
学ぶとは、疑問を発すること、そしてそれを解決することだと思います。わが国の教育では疑問を発することが巧妙に避けられてきました。まして、解決法は教師から与えられるものです。そうなったのは言うまでもなく学習指導要領という学びの大枠が上から与えられているからです。
例の『知の技法』(東京大学出版会)という本のあとがきで編者のお一人船曳建夫氏が、大学の最初のゼミで「何か質問はありませんか」と言われて質問が出ないのは、学校で根本的な質問を避ける癖が付けられているからだと述べています。私はあの本が「技法」というタイトルに関わらずエリート主義的な知的遊戯が描かれているのに対して、あの部分だけが「知の技法」についてしっかりとした考えを示していると思います。疑問を持ち、自分で解決する場を社会的に保証することが今後の課題だと考えています。